松之山温泉の歴史

今から1200万年前、
海水が地殻変動により硬い岩盤に閉じ込められ、
地下のマグマにより熱せられる。

そして今再び蘇り噴出しているもので、
ジオプレッシャー型温泉と呼ばれる。

まさに化石温泉である。

【伝説】

今から七〜八百年前。

傷ついた一羽の鷹が毎日同じ場所に舞い降り、 終日繁みに潜んでいるのを不審に思った一人の木こり。

谷間に降りて探したところ、 そこには沸々と湧く熱泉があり、 鷹はその湯に体を浸して傷を癒していたという。

南北朝時代の湯本は、
小さな湯小屋があるだけの川原であった。

江戸時代前期には、
旅人が増えるにつれ湯治客が増え、
宿屋が3軒あったと考えられる。

源泉は岩間から沸き出る湯を木製の樋で湯小屋へ送り、
湯治客はここで湯浴みををしていた。

7日間を1回りとする入浴法である。

湯治客は木賃(宿泊料)と湯銭を払って宿をとった。

湯銭は宿屋の手を経て庄屋の手元に集められ、 庄屋はこの湯銭で出湯役を納め、 湯小屋や薬師堂の維持・補修の費用に充てていた。

江戸時代中期に賑わいを見せ、
善光寺参詣の往還道に当たり、
すでに越後筆頭の「越後松ノ山湯」、
江戸時代後期には宿屋は7軒であった。

明治初期には、
泉源を巡る裁判で旅館同士が争い、
温泉街も衰退するかに思われた。

しかし、
大正5年 頸城鉄道浦川原・新黒井間開通、
大正9年 松代自動車運輸が人員輸送開始、
大正10年 三谷自動車が人員輸送開始、
昭和2年 共同浴場新築、
昭和4年 飯山鉄道全線開通。

アクセスが良くなり、
以前にも増して賑わいを見せる。

昭和12年には天水越で鏡の湯の掘削に成功。

これに刺激され、
昭和13年に湯本で鷹の湯第1号井の掘削に成功。

これにより、
各旅館への給湯が可能となる。

第二次大戦後、
久しぶりに活況を呈した。

昭和25年には観光協会が設立され、
湯本では新館・別館の増改築が行われる。

しかし、
昭和29年8月18日深夜、
大火が温泉街を襲う。

これにより、
温泉旅館7軒中、
消失を免れたのは温泉街入り口の、
福住屋旅館(現・山の森のホテルふくずみ)のみであった。

昭和30年には復興工事が進み、
共同浴場の竣工式も行われた。

しかし新築された各旅館の浴槽は従来よりも大きく、
1号井だけでは給湯が不可能であった。

昭和39年、2号井掘削に成功。

そして平成20年、
3号井の給湯開始。

湯量が増えた松之山温泉は、
薬効高い湯として、
日本三大薬湯の一つに数えられている。

(参考文献:松之山町史)